04月29日(水)
昭和20(1945)年4月29日、四宮 徹少佐が第19振武隊隊長として知覧基地から出撃し、特攻戦死されています。四宮少佐の最後の手紙は、遺品室4コーナーにて展示中です。
また、四宮少佐がどのような人生を歩んだのか、『企画展「空と海の特攻」図録』にて詳しく解説しておりますので、ご関心のある方はぜひお手にとっていただけたらと思います。
今週の平和会館
昭和20(1945)年4月29日、四宮 徹少佐が第19振武隊隊長として知覧基地から出撃し、特攻戦死されています。四宮少佐の最後の手紙は、遺品室4コーナーにて展示中です。
また、四宮少佐がどのような人生を歩んだのか、『企画展「空と海の特攻」図録』にて詳しく解説しておりますので、ご関心のある方はぜひお手にとっていただけたらと思います。

新年度に入って、1ヵ月が経ち、桜並木もいつの間にか鮮やかな緑色に染まっていました。
時間の流れがだんだんと早く感じられる年齢になったと、少しブルーになりました。

最近、雨模様の天気が続いておりましたが、今朝は気持ちの良い朝を迎えました。
5月3日の特攻基地戦没者依頼祭会場用の大型テントが設置され、式当日の準備に追われています。
参道前は準備のため立ち入り禁止区域もありますのでご注意ください。
昭和20年4月22日から開始された第4次航空総攻撃は27日まで行われました。この間に68名の隊員が特攻戦死されています。4月27日に知覧飛行場から出撃した隊員の遺詠を紹介します。「思ふまいと 思ふても 思ふは 国家のことなり」 誠第36飛行隊の下手豊司少尉が詠まれたものです。

今日は冷たい雨がパラつく朝を迎えています。さて、この週末から5/10(日)までの間は、GWとあわせて帰省やご旅行をご計画の方が多いのではないでしょうか。知覧にお越しの際は、知覧平和公園内 大型バス駐車場にある【南九州市観光案内所】へお立ち寄りください。交通アクセスや観光スポットなど多くの情報を知ることができる他、南九州市キャラクター「お茶むらい」のお土産も一部販売しております。

5月3日(日)開催の知覧特攻基地戦没者慰霊祭(13:00~)に向けて、テント設営などが始まりました。観音堂前を中心に一部通行できない場所などがございます。お客様にはご迷惑をおかけいたしますが、安全に迂回通路をご利用くださるようお願い申し上げます。
昭和20(1945)年4月22日、第80、81振武隊をはじめとした特攻隊が数多く出撃し、43名が特攻戦死されました。
遺品室16コーナーには、第80振武隊の寄せ書きを展示しています。これらの寄せ書きは複数あり、どれも12名全員が言葉を寄せています。
開催中の企画展「明日を生きる弟妹たちへ」では、隣接するミュージアム知覧から借りた資料を展示しています。写真は高射砲や騎兵が描かれた子ども用茶碗です。戦意高揚のため、戦争に関する柄が使われています。
ミュージアム知覧では、知覧の歴史民俗に関する資料が見学できます。平和会館との共通観覧券も販売しておりますので、ご来館の際はぜひご利用ください。
昭和20(1945)年4月18日、飛行第19戦隊の根本敏雄大尉が石垣飛行場から出撃しました。
乗っていたのは3式戦闘機「飛燕」でした。飛燕は知覧特攻平和会館の遺品室で展示されていた機体でもあります。平成27(2015)年に日本航空協会に返還され、現在は同じ場所に1式戦闘機「隼」(模型)が展示されています。
昭和20(1945)年4月17日、飛行第62戦隊の一部の隊員8名が4式重爆撃機「飛龍」に搭乗し出撃しました。その一人である近藤知康准尉の関連遺品が、遺品室15コーナーの引き出しに展示されています。
引き出し上部に展示している、父が書いた手紙は、近藤准尉が出撃した後に送られたため、封筒に「受取人死亡ニ付差出人ニ返送」の紙が貼られています。
昭和20(1945)年4月16日、知覧基地から第79振武隊が出撃し、10名が特攻戦死されました。第79振武隊所属の佐藤新平少尉は、特攻隊に任命された3月27日から出撃するまでの日々の出来事を『留魂録』に書き遺しました。『留魂録』には、両親への想いも書かれています。
「日本一のお母さんを持った新平は常に幸福でした」「厳格な半面、子供の時から人一番可愛がって頂いた新平は本当に幸福でした」

最近、大きなスーツケースをお持ちのお客様を多くお見かけします。当館のコインロッカーは、使う時に100円入れますが、最後に返ってくるタイプ。実質無料でご利用いただけます。お荷物を預けてゆっくりとご見学ください。(利用可能時間9:00~17:00)
昭和20(1945)年4月13日、沖縄戦における陸軍の航空特攻作戦では18名の方が特攻戦死されています。遺品室では、この日に出撃した第74振武隊の山本了三少尉の手紙を展示しています。写真は叔父宛の手紙で、万世基地に来る前、長野県浅間温泉の旅館から出されました。
「攻撃まで何日有るか私には解りません それまで、又母に會ひたいと思いますが然し却って母上もなげくと思ってそのまま征きます」
昭和20年4月12日に第二次航空総攻撃が開始されます。九州及び台湾の飛行場から多くの特攻隊が出撃し、この日だけで51名が戦死されています。そのうち21名が知覧飛行場から出撃しています。写真はその日に知覧飛行場で撮影された写真です。毎日新聞社の早川報道班員が戦闘指揮所の近くで撮影したものです。桜の枝を振って見送っている女学生は知覧高等女学校の生徒たちです。
葉桜に変わる季節の彩りを補うように平和会館横のつつじがとても綺麗に咲いています。また、周辺にある茶畑では新茶の摘み取りが始まりました。お越しの際は、南九州市の今ならではの景色をぜひお楽しみください。
昭和20年4月10日、徳之島飛行場から第30振武隊の横尾賢二伍長(戦死後少尉に特進)が出撃しています。搭乗機は写真で紹介している99襲撃機です。横尾伍長は樺太の出身です。当時、樺太の北緯50度線の南半分は日本の領有下にありましたので陸軍沖縄戦で亡くなった特攻隊員1036名の内、樺太の出身者が2名います。
写真は当館に展示してある海底から引き揚げられた零戦です。昨日、鹿児島県の阿久根沖から海軍機である紫電改が引き揚げられた報道がありました。昭和20年4月21日、霧島市にあった第一国分基地からB-29の邀撃に上がり出水上空で交戦の後に被弾して不時着水した機体です。同機に搭乗していた林喜重大尉はこの戦闘により戦死されました。この機体に限らず、今でも多くの機体が海底で眠っているものと思われます。
第一次航空総攻撃は昭和20年4月6日から11日にかけて行われました。81年前の4月8日は10名の特攻隊員が沖縄を目指して出撃し、戦死されています。知覧から出撃された第29振武隊の寺田實少尉が遺した最後の言葉を紹介します。「長い間色々有難ふ御座居ました。只今より征きます。日本男児の本懐であります。必ず御期待に添ひます。親類近所の皆々様に呉れぐれも宜敷くお伝え下さい。ではお元気で。」享年19歳、広島県出身の特攻隊員です。
81年前の昭和20年4月7日、第二艦隊が沖縄を目指す中、鹿児島県の西南西沖約200kmの海域で米軍機の猛攻を受けて戦艦「大和」をはじめ巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」「浜風」「霞」「朝霜」が沈められました。この戦闘で4000名以上が戦死されました。枕崎市の火之神公園内の平和祈念展望台に第二艦隊の「殉難鎮魂之碑」が建立されています。
81年前の昭和20年4月6日から第1次航空総攻撃が開始されました。米軍が3月26日に慶良間列島へ上陸し、4月1日に沖縄本島に上陸します。日本軍の想定よりも早く米軍が上陸したため、上陸作戦の初動に本格的な特攻攻撃が行えませんでした。体制を整え、本格的な特攻作戦を開始したのが4月6日です。第1次航空総攻撃は11日まで行われ、109名の隊員が特攻戦死されました。
平和会館の隣に知覧特攻平和観音堂があります。観音堂は昭和30年に建立され、現在の観音堂は平成16年に改築されたものです。観音堂には特攻平和観音像が納められており、毎年5月3日には特攻戦没者慰霊祭が開催されます。
企画展「明日を生きる弟妹たちへ」の関連イベント・ギャラリートークを本日行います。会場内で来館者と展示スペースをまわりながら企画展の見どころを紹介します。ぜひご参加ください。
時間:10:30~、13:00~ 約30分
会場:企画展示室(開始時間になりましたら会場へお越しください)
当館では、語り部の講話と特攻に関する映像の上映を毎日行っておりますが、4月1日より午後のスケジュールが変更となっておりますのでお知らせ致します。当日のスケジュール表は館内ロビーのほか講話会場付近にも設置しておりますので会場等をご確認ください。また、講話・上映前には館内放送でもご案内しております。
なお、本日のスケジュールは次の通りです。
特攻解説映像上映:①10:00~ ②12:00~ ③14:30~(各回約30分程度)
語り部の講話:①11:00~ ②13:30~ ③15:30~(各回約30分程度)
本日より、7月17日までの期間で春の企画展「明日を生きる弟妹たちへ-兄としての最後の手紙-」が開催されます。
当館の企画展示室にて、入館料のみでご覧いただけますので来館の際は是非ご覧ください。
なお、企画展の詳細につきましては「こちら」からご確認ください。