04月12日(日)
昭和20年4月12日に第二次航空総攻撃が開始されます。九州及び台湾の飛行場から多くの特攻隊が出撃し、この日だけで51名が戦死されています。そのうち21名が知覧飛行場から出撃しています。写真はその日に知覧飛行場で撮影された写真です。毎日新聞社の早川報道班員が戦闘指揮所の近くで撮影したものです。桜の枝を振って見送っている女学生は知覧高等女学校の生徒たちです。
今日の平和会館
昭和20年4月12日に第二次航空総攻撃が開始されます。九州及び台湾の飛行場から多くの特攻隊が出撃し、この日だけで51名が戦死されています。そのうち21名が知覧飛行場から出撃しています。写真はその日に知覧飛行場で撮影された写真です。毎日新聞社の早川報道班員が戦闘指揮所の近くで撮影したものです。桜の枝を振って見送っている女学生は知覧高等女学校の生徒たちです。
葉桜に変わる季節の彩りを補うように平和会館横のつつじがとても綺麗に咲いています。また、周辺にある茶畑では新茶の摘み取りが始まりました。お越しの際は、南九州市の今ならではの景色をぜひお楽しみください。
昭和20年4月10日、徳之島飛行場から第30振武隊の横尾賢二伍長(戦死後少尉に特進)が出撃しています。搭乗機は写真で紹介している99襲撃機です。横尾伍長は樺太の出身です。当時、樺太の北緯50度線の南半分は日本の領有下にありましたので陸軍沖縄戦で亡くなった特攻隊員1036名の内、樺太の出身者が2名います。
写真は当館に展示してある海底から引き揚げられた零戦です。昨日、鹿児島県の阿久根沖から海軍機である紫電改が引き揚げられた報道がありました。昭和20年4月21日、霧島市にあった第一国分基地からB-29の邀撃に上がり出水上空で交戦の後に被弾して不時着水した機体です。同機に搭乗していた林喜重大尉はこの戦闘により戦死されました。この機体に限らず、今でも多くの機体が海底で眠っているものと思われます。
第一次航空総攻撃は昭和20年4月6日から11日にかけて行われました。81年前の4月8日は10名の特攻隊員が沖縄を目指して出撃し、戦死されています。知覧から出撃された第29振武隊の寺田實少尉が遺した最後の言葉を紹介します。「長い間色々有難ふ御座居ました。只今より征きます。日本男児の本懐であります。必ず御期待に添ひます。親類近所の皆々様に呉れぐれも宜敷くお伝え下さい。ではお元気で。」享年19歳、広島県出身の特攻隊員です。
81年前の昭和20年4月7日、第二艦隊が沖縄を目指す中、鹿児島県の西南西沖約200kmの海域で米軍機の猛攻を受けて戦艦「大和」をはじめ巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「磯風」「浜風」「霞」「朝霜」が沈められました。この戦闘で4000名以上が戦死されました。枕崎市の火之神公園内の平和祈念展望台に第二艦隊の「殉難鎮魂之碑」が建立されています。
81年前の昭和20年4月6日から第1次航空総攻撃が開始されました。米軍が3月26日に慶良間列島へ上陸し、4月1日に沖縄本島に上陸します。日本軍の想定よりも早く米軍が上陸したため、上陸作戦の初動に本格的な特攻攻撃が行えませんでした。体制を整え、本格的な特攻作戦を開始したのが4月6日です。第1次航空総攻撃は11日まで行われ、109名の隊員が特攻戦死されました。
平和会館の隣に知覧特攻平和観音堂があります。観音堂は昭和30年に建立され、現在の観音堂は平成16年に改築されたものです。観音堂には特攻平和観音像が納められており、毎年5月3日には特攻戦没者慰霊祭が開催されます。
企画展「明日を生きる弟妹たちへ」の関連イベント・ギャラリートークを本日行います。会場内で来館者と展示スペースをまわりながら企画展の見どころを紹介します。ぜひご参加ください。
時間:10:30~、13:00~ 約30分
会場:企画展示室(開始時間になりましたら会場へお越しください)
当館では、語り部の講話と特攻に関する映像の上映を毎日行っておりますが、4月1日より午後のスケジュールが変更となっておりますのでお知らせ致します。当日のスケジュール表は館内ロビーのほか講話会場付近にも設置しておりますので会場等をご確認ください。また、講話・上映前には館内放送でもご案内しております。
なお、本日のスケジュールは次の通りです。
特攻解説映像上映:①10:00~ ②12:00~ ③14:30~(各回約30分程度)
語り部の講話:①11:00~ ②13:30~ ③15:30~(各回約30分程度)
本日より、7月17日までの期間で春の企画展「明日を生きる弟妹たちへ-兄としての最後の手紙-」が開催されます。
当館の企画展示室にて、入館料のみでご覧いただけますので来館の際は是非ご覧ください。
なお、企画展の詳細につきましては「こちら」からご確認ください。