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ホーム > 「特攻」を学ぶ > 戦跡案内

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戦跡案内

知覧特攻平和会館周辺の戦争遺跡など

一式戦闘機「隼」

平成19年に公開された映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」で忠実に復元された陸軍戦闘機です。

特攻勇士の像

昭和49年に建立。伊藤 五百亀(いほき)氏製作。  

鳥濱トメの灯ろう

昭和31年に建立。参道の脇にあります。  

飛行場の門柱

飛行場の門柱が移設されています。 その後には、知覧教育隊関係者によって記念碑が建立されています。  

特攻平和観音堂

毎年5月3日、慰霊祭が行われています。観音堂は平成17年、第50回祭を記念して改築されました。

灯ろう

県道を始め、観音堂に続く道には全国の遺族・関係者・有志から寄進された灯ろうが並んでいます。

油脂庫

練習機の潤滑油やグリースなどを保管した倉庫です。 壁面には荒々しい円錐状の窪みが何箇所も刻まれています。これは昭和20年3月以降、米軍の空襲を受けた時の傷跡です。  

弾薬庫

飛行演習は飛行場の周辺を飛ぶ場周飛行、宙返りなどの特殊飛行、複数機で飛ぶ編隊飛行などを経て、射撃訓練も行いました。 その射撃訓練用の機銃弾が入れてありました。    

知覧飛行場正門(跡地)

知覧飛行場の正門です。 左上は現在、右上は戦時中の写真で、ほぼ同じ場所から撮影したものです。門柱にかかる看板には「大刀洗陸軍飛行学校知覧教育隊」と書かれています。 昭和16年の飛行場の完成から昭和19年までは飛行兵の訓練場として使われました。 門柱は現在、参道の脇に移設されています。(下2点は飛行兵の訓練風景)  

給水塔

飛行場は台地にあるので水の確保に苦労しました。 町の麓を流れる思川から取水しポンプアップして高架式のタンクに貯水しました。 戦時中は真っ直ぐ立っていましたが、地盤が悪かったため現在ではピサの斜塔のように少し傾いています。高さは約13m、直径は約6mあります。  

防火水槽

防火用の水槽で、もともとは3基ありました。残る1基が私有地にあったため、平成16年に現在の場所に移築されました。 お椀型に地面が掘られ、直径は約10mあります。  

着陸訓練施設

どのくらいの高度で飛行機を接地させればよいのかを体感させる施設の一部です。約150m先に櫓があり、そこからワイヤーを引き、簡易な練習機を滑車で滑らして訓練しました。

知覧飛行場跡地の戦争遺跡  

出発線の碑(石碑)

特攻機が出撃する時は一旦出発線に近い滑走帯脇で待機し、出撃の指示を待ちます。 指示が出ると出発線に前進し、離陸の合図と共にエンジンを全開にして、離陸していきました。  

戦闘指揮所跡(石碑)

木造の建物があり、参謀など司令部要員が詰めていました。 現在の空港で言えば管制塔のような役割を担っていました。  

なでしこ隊見送りの地

知覧高等女学校の生徒達には、特攻隊や掩護部隊への奉仕が命じられました。 そして基地の中では食事の準備や裁縫などを行い、短い期間でしたが特攻隊員達との交流がありました。 左の写真は昭和20年4月12日、出発線に向かう第20振武隊の穴澤利夫少尉を八重桜の枝を振って見送る場面です。右は同じ場所の現在の様子です。  

対空無線通信施設跡(石碑)

コンクリート製半地下式の壕で、特攻機から送られた無線の受信や各飛行場との連絡を行いました。 戦後、爆破されたため痕跡はありませんが跡地には石碑が建立されています。  

三角兵舎跡

空襲を避けるため飛行場から少し離れた松林の中に三角兵舎が造られました。 三角兵舎は半地下式木造のバラック建てで、屋根には偽装用の幼木をのせていました。ここで特攻隊員達は出撃までの数日間を過ごしたのです。 現在、その跡地には三角兵舎跡の石碑が建てられています。 また、特攻平和会館の隣には復元された三角兵舎があり、当時を偲ぶ事が出来ます。  

掩体壕

掩体壕とは、コの字型に土塁を築き、近くに爆弾が落ちた場合でもその破片及び爆風から飛行機を守るためのシェルターです。 土塁の高さは戦闘機などの小型機用でも4m以上はとっていたので隼(Ⅲ型甲の全高は約3.2m)も十分覆われるようになっていました。 昭和20年以降、飛行場は空襲の標的にされていたので知覧に進出すると機体はすぐに掩体壕内に格納され、雑木の枝で偽装されていました。

集団司令部跡(石碑)

第3攻撃集団の司令部として使われた壕がこの山の斜面に掘られていました。 空襲が激しくなったため、昭和20年6月頃に川辺町の西之原に移転しました。  

大刀洗陸軍航空廠知覧分廠跡

航空機は精密機械のようなもので常時の日常点検と定期的なオーバーホールが必要です。 分廠ではオーバーホールや故障機の修理、補給部品の製作など難易度の高い整備を行いました。  

山砲座跡(猿山)

山頂からは飛行場跡を一望でき、はるか彼方には開聞岳を眺めることができます。 戦時中はこの基地から多くの特攻機が飛び立ち、米軍からの度重なる空襲を受けました。 当時は死闘が繰り広げられた場所ですが、飛行場は長い年月のうちに畑や住宅地に変わっていきました。そのため、現在の景色から当時の情景を想像するのは難しいと思います。

各戦跡の地図PDFファイルはこちらからダウンロードできます。

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